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ハイギョはなぜ陸に行ききらなかったのか――肺を持つ魚が“夏眠”を選んだ理由
肺呼吸できるのに、なぜハイギョは陸に上がりきらなかったのか
肺を持つ魚、と聞くと、つい「だったら陸に上がればいいのに」と思ってしまう。ハイギョはまさにその直感を誘う生き物だ。魚なのに肺があり、酸素の少ない水でも空気呼吸ができる。
ここだけ見ると、四足動物への途中にいる存在のように見える。けれど実際のハイギョは、そんなに単純ではない。
彼らは“陸に向かう魚”というより、“不安定な淡水環境に居座る魚”だった。映像で見ると、その独特の動きと質感だけでも印象が変わる。
違和感があるのは、能力の組み合わせだ。肺があるのに、完全な陸上生活には進まない。種によっては、干ばつが来ると遠くへ移動するより夏眠を選ぶ。
この“行ききらなさ”は、失敗の匂いがする。けれど進化では、半端に見える形が、じつは一番うまく環境に噛み合っていることがある。
ハイギョが適応したのは、季節で揺れる浅い淡水の水辺だった
アフリカや南米のハイギョの多くが生きる場所は、安定した湖の深みではなく、季節によって様子が変わる浅い水辺だ。雨季には水が広がり、乾季には縮む。場所によっては酸素も減る。
そこは水中生物にとって厳しいが、だからこそ競争の少ない場所でもある。この環境では、「完全に水を捨てて陸へ行く」ことも、「ずっと水中だけで暮らす」ことも、どちらも極端すぎる。
必要なのは、あるときは魚として泳ぎ、あるときは空気を吸い、最悪の時期はやり過ごすことだ。こうしたハイギョは、その揺れる境界線に合わせて調整された生き物だった。
https://education.nationalgeographic.org/resource/west-african-lungfish/
つまり、環境のほうが中途半端だった。水か陸か、とはっきり分かれていない。だから生き物の側も、どちらか一方に振り切る必要がなかった。
こうしたハイギョの体は、優柔不断なのではなく、その曖昧さに正確だったとも言える。
肺は上陸のためというより、水辺にとどまるために役立った
肺という器官は、私たちにはどうしても「陸上動物のもの」に見える。けれどハイギョにとっての肺は、陸に出るための切符というより、不安定な淡水環境で水中生活を続けるのに役立ったという見方が有力だ。
水の中にいても、酸素が足りなくなることはある。とくに浅く、よどみやすい場所ではなおさらだ。そんなとき、空気を直接吸えるのは大きい。
水を捨てなくてもいい。危険な陸上へ生活の軸を移さなくてもいい。肺は、環境が悪化したときの逃げ道を体内に持つようなものだと見ることもできる。
https://ocean.si.edu/ocean-life/fish/lungfish-fish-out-water
面白いのは、肺があることで、かえって陸に急ぐ必要が薄れることだ。呼吸の問題が一部解決してしまうからである。
もし水辺での最大の弱点が酸欠なら、それを補える時点で、環境から追い出される圧力はかなり弱まる。肺は前進の装置であると同時に、現状維持を可能にする装置としても捉えられる。
干ばつへの答えは、移動より夏眠だった系統もある
干上がるなら、移動したほうがよさそうに思える。だが移動にはコストがかかる。陸上を長く移動するには、体重を支える骨格、効率よく動く四肢、乾燥に耐える皮膚、感覚器の調整など、まとめて多くの変更が必要になる。
肺だけでは足りない。その点、夏眠はずっと局地的で、安い戦略だ。
アフリカハイギョ類の一部は泥に潜り、粘液の繭のようなものを作って代謝を落とし、乾季をやり過ごすことが知られている。
前の資料にもあるように、こうした性質は不安定な水辺で生き残るうえで合理的に働く。
一方で、オーストラリアハイギョの解説を見ると、現生ハイギョをひとくくりにはできないこともわかる。

ここで重要なのは、「最善」ではなく「十分によい」ことだ。毎年のように起こる乾燥に対して、そのたびに大移動するより、土の中で待つほうが安定するなら、進化はそちらを選びうる。
生き延びるために必要な性能を、必要なぶんだけ持つ。こうしたハイギョの合理性は、その節約感にある。
脚を連想させるヒレも、水辺に残る暮らしに合っていた
ハイギョのヒレは、四肢動物と共通祖先由来の特徴を連想させる。だからこそ脚とのつながりが気になるが、現生ハイギョのヒレは独自に進化した形でもある。
けれど、水中で暮らす時間が長いなら、完全な脚は必ずしも得ではない。水の中では浮力があり、泳ぎに適した形が別にあるからだ。
脚を発達させることは、ただ追加するだけではない。水中での運動性能とのトレードオフが出る。もし生活の大部分がまだ水辺にあるなら、陸用の設計へ大きく振ることは損にもなりうる。
ハイギョの細長い体と独特のヒレは、どちらにも少しずつ触れながら、どちらかに全振りしない設計に見える。
つまり、私たちは“脚に近い”という一点から、つい未来形でハイギョを見てしまう。だが彼らにとって重要だったのは、脚の予兆であることではなく、その環境で生き残れることだった。
進化は、未来のために一直線に働くわけではない。
ハイギョは途中形ではなく、水陸の境界に適応して完成している
ハイギョを見ると、進化を階段のように考える癖がよくわかる。肺がある。ヒレも少し脚っぽい。なら次は上陸だろう、と並べたくなる。
けれど実際には、進化はそんなに素直ではない。ある条件で十分うまくいくなら、そこにとどまることもまた成功になる。
現生ハイギョのなかには、水辺が安定しない世界に対して、動くより耐える方向の解を発達させた系統がある。空気を吸える。酸欠をしのげる。系統によっては、干ばつを眠って越える。
陸と水の境界が揺れるなら、自分もその境界に合わせて揺れればいい。そこには、いかにも進化らしい現実感がある。
https://www.nationalgeographic.com/science/article/a-long-walk-to-land
全体像の確認には、百科事典の項目も便利だ。現生ハイギョを、祖先の名残だけではなく、現在の生き物として見直しやすくなる。
https://www.britannica.com/animal/lungfish
ハイギョは、陸に行けなかった魚ではない。陸に行ききる必要がなかった魚だ。
中途半端に見えるのは、私たちが“進化には行き先がある”と思い込みやすいからかもしれない。干上がる水辺で夏眠する系統の姿は、迷いの結果ではなく、環境に対する静かな正解に見えてくる。
この見方に納得したなら、次はトビハゼやヤシガニのような水陸境界の生き物と比べると、「上がりきらないほうが有利」な条件がさらに見えやすくなる。