ハダカツノゼミは、なぜ“翅を捨てた成虫”のままアリに蜜を払って守られるのか――飛べない不利を社会関係で埋める理由

Creatures You Didn’t Expect

ハダカツノゼミの「飛べないのに残る理由」はどこにあるのか

セミの成虫といえば、まず翅を思い浮かべる。鳴いて、飛んで、木から木へ移る。だからツノゼミ類で翅が目立たない個体を見ると、少し頭が止まる。

ただし、ここでいう「ハダカツノゼミ」は本文中での便宜的な呼称で、学名が確認できた特定種ではなく、ツノゼミ科(Membracidae)の対象を厳密には特定できていない。成虫か若虫か、また成虫でも雌雄で翅の状態が異なるのかを切り分けないと、「成虫なのに翅がない」とは断定できない。

実際の姿や質感を確かめるには、本来は対象個体と学名が一致した映像資料を確認したい。ただし、以下のURLはその確認資料としては扱わない。

ここで気になるのは、なぜ不利に見える形が消えなかったのか、という点だ。飛べない、あるいは飛行能力が低いなら逃げにくいし、新しい寄主植物も探しにくい。普通に考えるほど、そうした個体は危なっかしく見える。

それでも、この違和感は「単なる退化なのか、それともアリとの相利関係を組み込んだ形なのか」という問いに変えられる。ハダカツノゼミの奇妙な無翅成虫を、飛べない欠陥ではなく、飛ばなくても成立する生活として読めるかが本題になる。

寄主植物にとどまる生活が、翅を使わない方向を支える

ハダカツノゼミと呼んでいる対象を、活発に飛び回る昆虫というより、寄主植物の上で定着的に暮らす小さな吸汁者として見ると輪郭がはっきりする。口吻を植物に差し込み、主に植物の師管液から栄養を取る生活は、移動よりも居続けることに重心がある。

ツノゼミ類の一部では、植物の汁を多く吸う生活の結果として、糖分の多い排出物である甘露が生じる。こうした甘露をアリが利用し、見返りとして昆虫を保護する関係は広く知られているが、種や発育段階によって強さはかなり異なる。

https://www.nationalgeographic.com/animals/article/treehoppers-ant-mutualism

見た目だけだと、どうしても飛べないことばかりが目につく。けれど暮らし方まで含めて見ると、最初から遠くへ行く前提ではない。じっと吸い、近くの他個体や、場合によってはアリとの関係のなかで生きる虫として考えると、翅の欠如や縮小は単独の異常ではなく、生活全体の一部に見えてくる。

甘露を払うことで、アリの護衛が防御として外部化される

アリは無料で護衛をしているわけではない。ツノゼミ類の一部では、若虫などが出す甘露が、アリにとって回収しやすい糖資源になる。

この関係の面白さは、防御を自前の筋力や飛行能力ではなく、別の生物の行動として外部化しているところにある。一般に、近くにアリが常駐すると、寄生蜂や小型捕食者への圧力が上がると報告されることがある。守りが体の一部ではなく、関係の一部になるわけだ。

もちろん、アリがいれば万能というわけではない。どのアリが来るか、どれだけ甘露が得られるか、周囲の捕食圧がどうかで、関係の強さは変わる。

それでも重要なのは、飛べないことの不利が、そのまま裸で放置されているわけではないという点だ。不利は残っていても、それを埋める仕組みが同時に働く場合がある。

翅の縮小は、定着生活と相利関係があってこそ成り立つ

飛行は便利だが、安くはない。翅そのものを作るコストがあり、飛翔筋を維持するコストもある。飛ぶための体づくり全体が、定着して吸汁する生活にとっては必須でない可能性がある。

もし生活の中心が、同じ場所で安全に吸い続けることにあるなら、翅を縮小する進化はありうる。半翅目には、環境や生活史に応じて翅の発達が変化する例も知られている。

https://www.britannica.com/animal/hemipteran

ここで大事なのは、翅が小さくなったからアリに頼った、という一方向の話に決め打ちしないことだ。むしろ、定着生活、甘露という資源、アリの護衛という条件がそろうなら、飛行への依存を下げても生活が成り立つ可能性がある。

つまりハダカツノゼミの無翅成虫のように見える姿も、単なる退化ではなく、飛べない不利を社会関係で埋める方向へ生存戦略を組み替えた結果として理解できるかもしれない。

飛行の代わりになるのは、個体能力よりも関係の力

ただ寄主植物の上にいるだけでは、アリは続かない。報酬が安定していて、守る価値があるときにだけ関係は保たれる。つまりハダカツノゼミと呼ばれる対象は、単に弱い生き物なのではなく、周囲の行動を引き出せる位置にいる場合がある。

この視点に立つと、飛行は自力で危険から離脱する技術であり、アリとの相利は危険を近づけにくくする仕組みだと言える。前者は個体の能力で、後者はネットワークの能力だ。

もちろん、社会的な防御には条件がある。アリが来ない環境では不利がむき出しになるし、寄主植物への依存も大きい。

それでも、飛べないから終わりではなく、飛ばなくても守られる配置を作るという別の解がありうる。そこがこの虫の変なところであり、同時によくできたところでもある。

無翅成虫は未完成ではなく、生存戦略の再設計として読める

翅が目立たない個体を見ると、どこか未完成とか、退化といった言葉を当てたくなる。けれど進化に完成図はない。ある環境で生き延びて繁殖できるなら、その形はそれ自体で現在形だ。

ハダカツノゼミの面白さは、能力の不足を別の能力で直接埋めたのではなく、関係の設計で埋めているように見えるところにある。甘露を介してアリを引き寄せ、定着した暮らしを維持する例も知られる。飛行の不在は欠落ではなく、生活の重心が別の場所にある印でもある。

この虫を見ていると、進化は強い機能を足していく話ばかりではないとわかる。何かを捨て、その代わりに周囲との結びつきを濃くする。そういう引き算のほうが、むしろ奇妙で、妙に現実的だ。

https://www.gbif.org/

飛べない、あるいは飛行への依存が低い個体は、不利そのものとは限らない。不利に見える形を、アリとの相利関係のような社会関係まで含めて成立させる例がある。そのしたたかさが、この話題をただの珍虫話ではなく、ひとつの進化の別解にしている。

ツノゼミ科全体や半翅目の比較に目を向けると、形の退化と社会的な外部化がどう結びつくのかも、さらに見えてくる。

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ハダカツノゼミの「飛べないのに残る理由」はどこにあるのか
寄主植物にとどまる生活が、翅を使わない方向を支える
甘露を払うことで、アリの護衛が防御として外部化される
翅の縮小は、定着生活と相利関係があってこそ成り立つ
飛行の代わりになるのは、個体能力よりも関係の力
無翅成虫は未完成ではなく、生存戦略の再設計として読める