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バシロサウルスはなぜウナギのように長いのか――“速く泳ぐ”ではなく“曲がれる体”が要った海
海に戻った哺乳類なのに、なぜバシロサウルスはウナギのように細長いのか
クジラの祖先と聞くと、どうしても現代のクジラへまっすぐ続く、太くて流線形の体を想像してしまう。ところが絶滅鯨類バシロサウルスは、その期待を気持ちよく裏切る。長い。しかも妙に長い。
海に戻った哺乳類なのに、完成形のクジラというより、どこかウナギや大型の海ヘビを思わせる。その違和感こそ、この初期鯨類を見る面白さの入口になる。
復元や骨格を見ると、その印象はかなり強い。長い胴がひと目でわかる資料としては、スミソニアンの紹介がつかみやすい。
ここで気になるのは、なぜこんな形になったのかという一点だ。海で速く泳ぐだけなら、もっと詰まった、無駄のない体のほうが有利に見える。なのにバシロサウルスは、その細長さを捨てなかった。
むしろそこに、海への再適応が一枚岩ではなかったこと、そしてこの動物が生きていた海の事情が見えてくる。
初期鯨類バシロサウルスの胴が長すぎるという事実を骨格で見る
バシロサウルスの特徴は、単に大きいことではない。背骨の数が多く、胴体全体が異様に引き伸ばされていることが重要だ。現代のクジラにも長い体をもつ種はいるが、バシロサウルスの長さは少し質が違う。
体幹そのものが、泳ぐための一本の長いムチのように見える。その印象は、骨格標本になるとさらに強まる。
頭から胸、腹、尾へと細長く続く体つきは、概説的な資料を見てもよくわかる。
しかも脚はかなり小さい。陸に戻る気配はほとんどなく、生活の中心は完全に海だったと考えられている。一方で、遊泳様式には諸説あるものの、現生クジラとは異なる、体幹の大きな運動を伴う泳ぎだった可能性が指摘されている。
この中途半端さは、未完成というより、海生哺乳類の初期段階に見られた別の完成形だったと考えたほうが自然だ。
速く泳ぐためではなく、獲物に体を合わせて曲がるための細長さ
バシロサウルスは、大型の肉食性の海生哺乳類で、魚類やほかの脊椎動物を食べていた証拠がある。若いクジラ類の利用については、捕食だったのか死肉利用だったのかも含めて議論されている。
ここで効いてくるのが、ただ一直線に速いことではなく、獲物の動きに体を合わせる能力だ。
細長い体は、水中での取り回しに独特の強みをもった可能性がある。大きな体でも、胴を順にしならせることで、頭の向きを変えやすかったのかもしれない。こうした体形は、体幹を大きく使う遊泳や捕食に有利だった可能性がある。
視覚的なイメージをつかむには、PBS Eonsの動画もわかりやすい。
もちろん、バシロサウルスがウナギのように泳いでいたと断定はできない。ただ、現生クジラより体幹の運動が大きく、尾びれだけに推進が集約された泳ぎではなかったと考えられることが多い。
重要なのは、長い体が不利だったのではなく、ある種の狩りでは曲がる体が必要だったかもしれない、という見方だ。
水中推進は尾びれ一択ではなく、背骨全体でしなる段階があった
現代のクジラは、主に尾の上下運動で進む。胴体は比較的まとまり、力を尾へ伝える構造になっている。一方でバシロサウルスは、体幹の広い範囲が現生クジラより大きく運動に関与した可能性がある。
つまり、推進が後方により強く集約された現生クジラとは違い、体全体が泳ぎに大きく関わっていた可能性がある。
この違いは、効率の話だけではない。全身がしなる体は、急な姿勢変化のような動きに向いていた可能性がある、という解釈もできる。初期鯨類の水中推進が現在の形へ一直線に進んだのではないと考えると、長い胴の意味も見えやすくなる。
ここで面白いのは、海に戻った哺乳類の正解が最初から一つではなかったことだ。初期のクジラ類には多様な体形と生態があり、その中の一つとして、長く、しなる大型の海生捕食者がいた。
バシロサウルスは、その一例だったのかもしれない。
巨大化への一直線ではなく、不安定な体型の実験として見る
では、なぜ現代のクジラはバシロサウルス型にならなかったのか。ここは少し重要だ。進化は優劣だけで一本道に進むわけではない。
ある時代にうまくいった体でも、環境や獲物、移動距離、エネルギー効率の条件が変われば、別の設計が有利になる。
長い体は曲がりやすい一方で、長距離巡航の効率との兼ね合いがあった可能性もある。現代の多くのクジラで、より胴が詰まり、尾びれ中心の遊泳に適した体形が広がった背景には、長距離移動や遊泳効率、摂食様式など複数の要因が関わったのかもしれない。
バシロサウルスの基本的な位置づけは、ブリタニカの整理もわかりやすい。
https://www.britannica.com/animal/Basilosaurus
つまりバシロサウルスは、クジラになる前の不完全な段階というより、当時の環境に適応した独自の体形をもつ海生クジラ類だった。クジラ進化を巨大化への一直線としてではなく、途中にあった不安定な体型の実験として見直すと、この動物の意味はかなり変わって見える。
細長さは回り道ではなく、その海に合った答えだった
バシロサウルスを見ると、進化をつい「より洗練された今」に向かう直線として考えていたことに気づかされる。でも実際には、海に戻った哺乳類は最初からクジラらしくなったわけではない。長くなる道もあった。しなる道もあった。
その場の海で、ちゃんと生きていたのである。
この生き物の面白さは、細長いこと自体ではない。その細長さが、失敗でも名残でもなく、一時代の海で何らかの適応的意義をもっていた可能性が高い点にある。最初に見たときの「なんでそんな形?」が、最後には「その海なら、ありえる」に変わる。
もしバシロサウルスの姿をもう一度見返すなら、未完成なクジラとしてではなく、曲がりやすい体が捕食に役立った可能性をもつ海生捕食者として見ると印象が変わるはずだ。海への再適応は一つの出来事でも、その戻り方は一つではなかった。